徒有其表 发表于 2018-2-11 23:15:39

2018好事成双

日本从明治维新以来一心学习西方,学得非常的执着和彻底,当时西方为了打开中国和日本两大市场也将大量的商品销往这两国,其中就包括钟表,销往中国的就有玩表人熟知的大八件,现在这个品种价格已被国人炒成天价,但销往日本的市场的怀表确很少有人问津,其实日本是一个审美取向很高的国家,从很多日本工艺品及浮士绘都可以看出,在销往日本的市场表也有所体现,首先,怀表的表盘普遍采用细而长的罗马体很少使用阿拉伯数字表盘,加上又细又长的时针分针使整个表显得非常的素静、高雅,还有一个特点,日本的市场表内防尘盖也象中国的大八件表内防尘盖用透明的玻璃盖这样方便玩家观赏,怀表的表耳两侧一般加有支钉,使表显得更加稳重,还有一个显著的特点日本市场表存袭了英国表的大而厚重的特点,我这两块日本市场表直径都达到了57mm算比较大型的怀表了,这两块怀表,机芯风格不同但在当时是常见的两种瑞士机芯类型,可以看出当时销往日本和中国的怀表也主要以瑞士机芯为主,这两块表都是银壳,风格非常相近,如果不看机芯只从外观看很象当时中国南方人非常钟爱的对表,这两块表表壳上都打有骑士图案印记,有这种图案印记的基本上可确定是销往日本的怀表,以前也看到过英国的芝麻链机芯上也有过这样的图案,说明英国芝麻链时代也有怀表远渡日本,这段销往日本的怀表与中国的大八件差不多都出现于十九世纪的晚清和二十世纪的民国初年,这两块表虽普通但记录的是一段历史也让2018开年好运连年,好事成双。

tianchengkao 发表于 2018-2-12 00:26:56

支钉确实是 很有味道的设计。 感谢分享 学习了

宜宾的浪子 发表于 2018-2-12 08:22:19

欣赏了。赞

18980002021 发表于 2018-2-12 08:35:35

漂亮

hkhhj 发表于 2018-2-12 12:06:27

:lol:lol:victory:

蒙古大夫 发表于 2018-2-24 23:31:43

日本网上的资料……
这个骑士印是瑞士产日本市场表的专营标识,西铁城的前身。
各个国家都有生产向日本出口,前期为整表,中期为组装,后期日本自产及进口零件组装。


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商館時計(しょうかんどけい)は、文明開化に伴い、明治時代に外国商館を通じて日本に輸入された懐中時計である。


概要
主な商館とマーク編集明治時代、時計を扱っていた商館は20~30ほどが確認されている。マークの種類はその数倍にのぼる。スイス商館編集
[*]「アール.シュミット商会(Rodolphe.Schmid&Co)」シュミットは元は時計製造会社である。明治10年~23年の間はワーゲン商会が製品を扱い、明治23年~27年の間へロブ商会が扱った。明治28年からシュミット直営商館となり、明治42年からはナブホルツ&ヲッセンブルゲン商会が扱った。後に尚工舎(シチズン時計)の設立にも協力した。
  マーク「馬上騎士印」馬の衣装に…WとF→ワーゲン商会扱い HとCo→へロブ商会
[*]「コロン商会(J.Colomb&Co)」横浜居留地10番にあった。高品質の時計を扱うことで知られており、精工舎の前身「服部時計店」にも製品を提供していた。
  マーク「交差旗印」「鶴印」「ライオン印」「六方星印」など
[*]「ファブル.ブラント商会(C&J.Favre-Brandt)」親日家で日本人の妻と結婚。西郷隆盛とも家族ぐるみで親交があった。日本人時計師をスイスへ留学させたり、「時計心得帳」を出版するなど日本の時計産業育成にも尽力した。横浜外国人墓地9区に埋葬される。
  マーク「盾獅子印(高級品)」「星獅子印(準高級品)」「野羊・猟鳥印(普及品)」
[*]「シュオーブ・フレール社」スイスのラ・ショードフォンにて製造。「タヴァン(Tavannes)」ブランドで広く知られる。日本ではJ・ウィストコウスキ商会とクーン商会が扱った。現在では「CYMA]ブランドの腕時計がよく知られている。

[*]「ボーレル・クルボアジェ社(Borel&Corvoisier)」スイスのニューシャテルにて製造。E・ジャコット商会が扱っていたが、のちにシーベル商会が扱った。
ドイツ商館編集
[*]「レッツ商会(F.retz&Co)」横浜居留地214番にあった。フリードリヒ・レッツは事業の傍ら横浜外人墓地の運営にもたずさわる。外国人墓地15区に埋葬される。
  マーク「蝶に矢」「三日月にカゲロウ」など
[*]「謙信洋行」最初は神戸に商館をもうけ、のちに横浜に移転。中国への販路拡大に力を入れていた。
  マーク「鷲に盾と矢」
[*]「カール・ローデ商会」時計のほかにも染料を輸入。カール・ローデは1891年にドイツ領青島へ去ったが、第1次大戦で俘虜として日本に連れ戻され、板東俘虜収容所で3年間を過ごした。ここで日本初の「第九」の演奏が俘虜たちによって行われたというエピソードがある。
  マーク「飛ぶ鷲」
[*]「L.クニフラー商会」大手総合商社として知られる。クニフラーの帰国後、イリスが経営を引き継ぎ「C.イリス商会」となった。
  マーク「馬印」
[*]「A.エストマン商会」保険代理店業務も行っていた。
  マーク「王冠印」「ライオン印」アメリカ商館編集
[*]「ブルウル兄弟商会(Bruhl bros&Co.)」神戸と横浜を拠点に明治36年まで営業した。服部金太郎とも関係が深かった。
  マーク「競馬印」「葡萄印」フランス商館編集
[*]「ヲロスヂーバアク商会(Orosdi-Back)」明治28年創業。日本では明治36年まで営業。現在もパリに本店がある。
  マーク「三日月に鷹印」「花火印」
[*]「オッペネメール商会」横浜に1875年から存在。明治20年代から時計の扱いを始めた。
  マーク「騎馬武士印」日本の商店編集外国商館と直接取引し、小売りする時計商もいた。自分の商店のマークを入れた製品がある。
[*]「吉沼時計店と服部時計店」スイス、ラ・ショードフォンの高台社製造の時計をブルウル兄弟社仲介で扱った。
  マーク「月鳥印」
[*]「北出作治郎商店」大阪心斎橋にあった。日の出印のボンボン時計を制作していた。商館時計には珍しく文字盤に商標が赤色で書かれている。
  マーク「虎印にJOHORE」

脚注
参考文献





最終編集: 6 か月前、Tausendfusler


関連ページ
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金時計

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懐中時計

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甦る 古の時計 郷愁の懐中時計コレクション


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